貸切バス運行開始 (昭和25年)
戦後の混乱期を脱し、経済事情の好転により、国民の暮らしにゆとりが生じてきました。
人々は、生活の余暇を行楽や観光旅行に求めるようになり、団体旅行が盛んになってきました。
岐阜バスでは、貸切事業の将来性とメリットに着目し、1950年 事業開始免許を取得しました。
営業開始当時の認可車輌はわずか6輌で、そのうち 貸切用として新造されたのは1輌のみでした。
他の車輌は、定期車輌を流用したものを使用していましたが、車輌の良否が団体旅行の獲得に
大きく影響することに留意し、積極的に貸切車輌の開発 および 増車に力を入れていきます。
(愛称なし)
▲(トヨタ[刈谷] BL/1949年式)・・・・貸切1号車。全国に先駆けて導入されたロマンスシ-ト車です。
ロマンスシ-トとは2人掛けのシ-トを指し、当時としては珍しく、進行方向を向いて設置しています。
ボディメ-カ-は刈谷車体(現 トヨタ車体)で、トヨタ自動車のトラック・バスのボディを架装しました。
ボディ側面には、乗降扉付近に「GIFU BUS CO.LTD」、中央に「岐阜乗合自動車」と表記されています。
車内は、横5席(正席4+補助席1)×5列で25人乗りとなっています。
(愛称なし)
▲(トヨタ[刈谷] 型式不明/1951年式)・・・・貸切2号車。貸切車専用の新デザインを初採用しました。
乗降扉上の窓には「SPECIAL」の表記があり、ハイバック式のロマンスシ-トを採用しています。
採光性と展望性を売り物にする側天窓は、当時の観光バスの必須アイテムのひとつです。
車内は、横5席(正席4+補助席1)×5列で25人乗りとなっています。
しろばら
▲(日野[新日国] BH10/1952年式)・・・・貸切3号車。特別仕様の大型ロマンスシ-ト車です。
ボディメ-カ-は新日国(にっこく)工業で、全シャ-シメ-カ-のバスのボディを架装しました。
乗降扉上には「SPECIAL」の表記があり、側窓は当時としては珍しく固定式となっています。
車内は、横6席(正席4+補助席2)×7列で42人乗りとなっています。
しらぎく
▲(トヨタ[梁瀬] 型式不明/1952年式)・・・・最後部に独立したサロンル-ムを設けた特別仕様車です。
ボディメ-カ-は梁瀬自動車(現 ヤナセ)で、大手メ-カ-にない特注ボディをメインに架装しました。
当時より花の名前の愛称が付けられ、乗降扉の後方に「しらぎく」の表記とエンブレムが確認できます。
車内は、横4席×3列の後ろに横向きシ-トが4席、サロンル-ムが8席で24人乗りとなっています。
(愛称なし)
▲(日野[新日国] BH11/1953年式)・・・・側天窓を装備しない一般的な仕様です。
乗降扉の前方にサボ(定期・貸切)が掲げられ、汎用貸切車として使用されました。
リヤエンジンバス登場後、ボンネットバスは順次 定期車輌に転用されました。
車内は、横6席(正席4+補助席2)×8列で48人乗りとなっています。
★ボンネットバスとは・・・・
運転席より前、客室外のフロント部にエンジンを設けた構造のバスで、古くから存在する形態です。
三菱・日野・いすゞ・トヨタなどが生産するシャ-シに、数多くのボディメ-カ-が架装しました。
1971年には量産型のボンネットバスの生産が中止され、一旦は国内から消えることになります。
その後、昔懐かしいボンネットバスとして運行されるようになり、現在でも数台が動態保存されています。
近年は、マイクロバスのシャ-シを利用したレトロ調ボンネットバスが、観光地などで運行されています。
また、床下にエンジンを置かないことから低床化が容易なため、ノンステップバスとして生産されました。
★貸切バスとは・・・・
観光を主目的としたバスを観光バスといい、道路運送法では「貸切バス」(一般貸切旅客自動車運送事業)といいます。
一般的な団体貸切バスのほか、バスツア-に代表される会員募集型の貸切バス、契約型の貸切バス輸送があります。
団体でバスを貸切る場合、車種区分によって決められる運賃(時間制・キロ制など)と料金の合計が必要となります。
料金には、深夜早朝運行料金(最大2割増)・航送料金・回送料金・特殊車輌割増料金(最大5割増)などがあります。
一般的に、運転士1名とバスガイド1名が乗務し、バスガイドは観光案内・車内の清掃・後退誘導などを行います。
夜行や長距離運行の場合、運転士2名が交代で乗務することが多く、また近年、ガイドレスの運行も増えています。
☆各画像は、社史「三十年のあゆみ」(1974年発行)、「歴代観光バスの下敷き」(2007年発売)より抜粋しました。