トラベルキングの旅行記Ⅱ

★ 2019年7月に ヤフ-ブログより引っ越してまいりました。旅行記を地域別にご覧になる際は、カテゴリの「東日本編」「西日本編」よりお入りいただくと便利です。

岐阜バス 貸切車輌の歴史 [5] <ジャンボスタイル 前編>

 メ-カ-特注車輌の導入 (昭和40年代後半)

 
従来 継続導入してきたオバQバスが製造終了となり、三菱ふそう純正車の導入が始まります。
当時 三菱自動車は、国内で唯一 シャ-シとボディを一貫して生産する体制を整えていました。
1968年には、バス新規登録台数でいすゞ自動車を抜き、トップメ-カ-として独走を続けます。
70年代の観光バスは、先進的な事業者の要望に応え、様々な外観・内装の車輌が開発されました。
その原点となったのが、1973年登場の「ジャンボスタイル」と呼ばれるメ-カ-特注車輌です。
以後 岐阜バスと三菱自動車は、長年にわたり 観光バスの開発において密接に関係していきます。 

 Hi-Super T.V Car 32 



▲「ハイス-パ-TV32」(三菱ふそう B905N/1972年式)・・・・32人乗りカラ-テレビ付寝台バスです。
メ-カ-標準仕様のスタンダ-ドデッカ-(短尺車)で、背面窓は3分割ワイドタイプとなっています。
三菱ふそう純正車(シャ-シ・ボディとも三菱自動車製)の第一陣で、1972年に2輌導入されました。
通路にはセパレ-トカ-テンが設置され、フリ-ストップ式リクライニングシ-トを採用しています。
なお、うち1輌は 後年 行先表示器や後扉を増設し、貸切塗装のまま「下呂特急」に転用されました。

 Royal 28 





▲「ロイヤル28」(三菱ふそう B907S/1973年式)・・・・28人乗り全席回転サロン付バスです。
最後列以外を回転シ-トとし、通路向き・窓向き・後ろ向きが自由自在の究極のサロンカ-です。
各シ-トを挟んで固定式テ-ブルが設置され、麻省・囲碁・将棋・トランプなどが楽しめました。
1973年に2輌導入され、「ロイヤルサロンカ-」の愛称でフラッグシップとして活躍しました。
なお、同時期に導入された10輌(ロイヤル28/36/55)より、新たな外観デザインに変更されています。

 Royal 36 





▲「ロイヤル36」(三菱ふそう B907S/1973年式)・・・・36人乗り寝台バスです。
フリ-ストップ式リクライニングシ-トを採用し、フットレスト・レッグレストが装備されました。
1973年に3輌導入され、「ロイヤル寝台バス」の愛称で長距離旅行を中心に活躍しました。
また、華陽観光バスにも「ロイヤル36」として同一仕様の車輌が導入されています。

 Royal 55 



▲「ロイヤル55」(三菱ふそう B907S/1973年式)・・・・55人乗り一般車です。(正席45・補助席10)
前掲「ハイス-パ-TV55」以降、特別車・一般車に関係なくカラ-テレビが標準装備となりました。
全長12mのロングボディを採用しているため、従来型と比べシ-トピッチが広くなりました。
1973年に10輌(他社へ6輌転出1⃣)導入され、「ロイヤルカ-」の愛称で活躍しました。
注釈1⃣・・・・全車 日本急行バスへ転出し、定期車輌(名神ハイウェイバス)として活躍

 Hi-Super 55 (京都観光バス) 



▲「ハイス-パ-55」(三菱ふそう B907S/1973年式)・・・・55人乗り一般車です。(正席45・補助席10)
メ-カ-標準仕様のスタンダ-ドデッカ-(標準尺車)で、背面窓は3分割ワイドタイプとなっています。
京都観光バスでは、岐阜バス および グル-プ各社より一世代前の外観デザインを採用していました。
ボディ側面前方には、前身の京聯(きょうれん)グル-プ時代から続く鳩マ-クが掲げられています。
特徴あるヘッドライトベゼルは、通称「東名グリル」と呼ばれ、多くの事業者にて採用されました。


★ジャンボスタイルとは・・・・
岐阜バスでは1972年よりカラ-テレビ付バスの運行を開始しましたが、乗降時に頭がつかえたり、前方の
視界を妨げるといった現場の意見を取り入れ、テレビ未使用時は通路前方上に格納する方法が考案されました。
前頭部に大きな突起を設け、大型旅客機「ボ-イング747」をイメ-ジし、ジャンボスタイルと呼ばれました。
全長12mのスタンダ-ドデッカ-をベ-スに開発され、背面窓は3分割ワイドタイプとなっています。
突起部から後方にかけアンテナ線が張られ、テレビ放送の受像感度向上とデザイン性を両立しました。
ジャンボスタイルは改造車扱いとし、突起部に明かり取り窓が付いた車輌もわずかにみられました。

■乗車記録(スタンダ-ドデッカ-/ジャンボスタイル)
①「下呂特急」岐22か・215・・・・新岐阜⇔下呂温泉 乗車「下呂温泉パック」<1979年7月28.29日>
②「ロイヤル55」岐22か・402・・・・ながら会ツア-「蒜山高原と皆生温泉」コ-ス<1979年11月19.20日>
③「ロイヤル60」岐22か・762・・・・ながら会ツア-「白川郷どぶろくまつり」コ-ス<1980年10月19日>
④「ロイヤル60」岐22か・764・・・・ながら会ツア-「善光寺と戸倉上山田温泉」コ-ス<1981年5月3.4日>
⑤「ロイヤル36」岐22か・333・・・・ながら会ツア-「白樺湖と天竜下り」コ-ス<1981年7月21.22日>
⑥「ロイヤル60」岐22か・763・・・・ながら会ツア-「びわこバレイと近江名園」コ-ス<1982年4月29日>
⑦「ロイヤル60」岐22か・764・・・・ながら会ツア-「赤目四十八滝ハイキング」コ-ス<1982年11月7日>
⑧「空港特急」岐22か・334・・・・新岐阜→名古屋空港 乗車「北海道一周/往路」<1984年7月23日>
⑨「空港特急」岐22か13-77・・・・名古屋空港→新岐阜 乗車「北海道一周/復路」<1984年7月27日>

☆各画像は、社史「三十年のあゆみ」(1974年発行)、「車のしおり」(1973年版)より抜粋しました。

  1. 2007/11/16(金) 22:46:00|
  2. 岐阜バスの貸切車輌
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円山公園と鞍馬・貴船 <2001/3/31[日帰り]>







今回は、「青春18きっぷ」を利用し、京都へ桜見物に行ってきました。
岐阜8:28発の東海道本線「特別快速」に乗車し、終点・米原には9:18に到着しました。
9:26発の東海道本線・姫路行き「新快速」に乗り換え、京都には10:16に到着しました。
市バスに乗り換え、祇園へ向かい、「八坂神社」「円山(まるやま)公園」界隈を散策しました。

昼食後、三条より京阪本線に乗車し、終点・出町柳にて叡山(えいざん)電鉄・鞍馬線に乗り換えました。
終点・鞍馬に到着し、「鞍馬寺」を拝観後、木の根道を1時間ほど歩き、「貴船(きふね)神社」に到着しました。
参拝後、京都交通のバスに乗車し、貴船口にて叡山電鉄・鞍馬線に乗り換えました。
出町柳にて京阪本線に乗り換え、七条にて下車し、京都駅まで歩きました。
17:29発の東海道本線・長浜行き「新快速」に乗車し、米原には18:20に到着しました。
18:28発の東海道本線・豊橋行き「新快速」に乗り換え、岐阜には19:15に到着しました。

画像1枚目:祇園・白川沿いに咲く満開の桜・・・・路地に入れば、お茶屋さんや高級料亭が軒を連ねます。
画像2枚目:都をどりの開催を告げる看板・・・・祇園甲部(こうぶ)歌舞練場で開催される舞踊公演です。
画像3枚目:円山公園の枝垂桜・・・・円山公園は、京都を代表する「花見スポット」として知られています。
画像4枚目:鞍馬寺・山門・・・・鞍馬弘教総本山で、新西国三十三箇所の19番札所となっています。
画像5枚目:貴船神社・・・・全国に約450社ある貴船神社の総本社で、絵馬発祥の地としても知られます。
画像6枚目:貴船といえば川床料理・・・・夏場には川床が設けられ、涼を楽しみながら食事ができます。

関連記事:祇園散策2003・・・・https://travelking0105.blog.fc2.com/blog-entry-219.html

  1. 2007/11/15(木) 22:52:00|
  2. 旅行記<2001年>
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モモちゃん 草を食べる


最近、モモが庭で草を食べるようになったので、ホ-ムセンタ-で「イヌ・ネコの草」を買ってきました。

ペット用品売り場で見つけたのが、「みっちゃんのワンちゃん・ネコちゃんの食べる生野菜」。

早速モモに見せたところ、ムシャムシャと食べ始めました。

いったいどんな効果があるのでしょう?

  1. 2007/11/12(月) 21:52:45|
  2. モモちゃん観察記
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岐阜バス 貸切車輌の歴史 [4] <オバQバス 後編>

 事業拡大と敏腕アイデアマンの存在

 
貸切事業が軌道に乗り、岐阜バスは近隣の同業他社を次々と買収し、事業拡大を図っていきます。
1963年には西濃観光バス、1965年には新東海観光バス、1970年には華陽観光バスを傘下に
入れました。1968年には京都観光バスほか2社1⃣の経営を名鉄より引き受け、近畿圏に進出します。
また、名古屋京観バスの吸収合併にともない名古屋貸切営業所を開設し、愛知県に進出しました。
いっぽう貸切車輌の開発では、1972年に全国に先駆け「カラ-テレビ付バス」を導入しました。
これら開発の背景には、アイデアマンの存在があります。業界の重鎮・中村明徳(めいとく)氏です。
注釈1⃣・・・・大阪京観バス(→大阪名鉄観光バス)・神戸観光バス(→名鉄神戸観光バス) ともに旧京観系

 Hi-Super Rear Salon 54 





▲「ハイス-パ-RS54」(三菱ふそう[川崎] B905N/1971年式)・・・・54人乗り転換サロン付バスです。
後ろから2列目を転換クロスシ-トとし、麻省が楽しめるよう開発された車輌です。(正席45・補助席9)
補助席付で定員を確保しつつ後部をサロンとする仕様は、現代の汎用サロン車のはしりとなりました。
この車輌より、正面のオバQ顔はヘッドライトベゼルが整形された「後期マスク」となりました。

 Hi-Super T.V Car 55 





▲「ハイス-パ-TV55」(三菱ふそう[川崎] B905N/1972年式)・・・・55人乗りカラ-テレビ付バスです。
ビデオテ-プレコ-ダ-を設置し、屋根にアンテナを付けテレビ放送も受像できました。(正席45・補助席10)
「テレビカ-」は、岐阜バスグル-プ各社でも看板車に採用され、やがて全国の事業者に普及していきます。
同時期には、三菱ふそう純正車の導入が始まっており、同車はオバQバスの最終増備分とみられます。

 Hi-Super 60 



▲「ハイス-パ-60」(いすゞ[川崎] BU20P/1971年式)・・・・60人乗り一般車です。(正席49・補助席11)
前掲「ス-パ-サロンカ-」よりわずかに長い短尺車で、12列のシ-トピッチはかなり狭く、窮屈さは否めません。
1970年には、いすゞシャ-シに川崎重工製「角型車体」を架装した「ニュ-60」(60人乗り)が導入されました。
なお、一部のオバQバスは、リニュ-アル時 次代の外観デザインに改装され、「ス-パ-〇〇」に改称されました。

 空港特急 (初代) 



▲(いすゞ[川崎] BH20P/1970年式)・・・・「空港特急」(新岐阜⇔名古屋空港)に改装された車輌です。
岐阜バスでは、一定期間(8~10年程度)の貸切運用を終えると、定期車輌に格下げし運用しています。
シルバ-のボディ側面には、全日空・日本航空・東亜国内航空のシンボルマ-クが掲げられています。
車内前方に荷物スペ-スが設けられ、乗客はス-ツケ-スごと乗車していました。(1978年登場)

 八幡特急 



▲(三菱ふそう[川崎] B905N/1972年式)・・・・「八幡特急」(岐阜⇔郡上八幡・白鳥)に改装された車輌です。
一般路線カラ-をアレンジした外観デザインを採用し、ボディ側面には運行区間が表記されています。
また、ヘッドライトベゼルには行先表示器が、その上には「特急」の行灯(あんどん)が増設されています。
「八幡特急」の外観デザインは、次々代車輌(パノラマデッカ-)まで踏襲されています。(1982年登場)


★観光バスのグル-プ会社化・・・・
昭和40年代に入ると、大手私鉄・大手貸切事業者による同業他社の買収(グル-プ会社化)が進みます。
事業区域を拡大することにより、営業基盤を強固なものにし、グル-プ全体の収益アップに繋げました。
グル-プ会社化の利点として、繁忙期等に車輌が不足した場合、グル-プ内で調整を行うことができます。
また、同一車種を一括して購入することにより、バス販売会社と車輌価格の交渉(値下げ)が容易になります。
中でも、最大勢力を誇ったのが名鉄グル-プの観光バスです。近畿・中部をはじめ、関東・東北・北海道の
40社近くをグル-プ会社化しました。近年は、再編による合併・統合・事業廃止・離脱が進んでいます。

★中村明徳氏とは・・・・
数々のアイデアを自社の貸切車輌に盛り込み、岐阜バスを全国屈指の貸切事業者に成長させた人物です。
名鉄出身のやり手社員として、観光課長をはじめ、取締役・常務取締役・専務取締役などを歴任されました。
「貸切車輌の開発は我が社の独壇場」と考え、サロンカ-・寝台バス・カラ-テレビ付バスの開発や、この先
紹介するジャンボスタイル・パノラマデッカ-など、メ-カ-特注車輌の開発に大きく関わっていきます。
その後、華陽観光バス・名古屋観光バス(→名古屋観光日急→名鉄観光バスに統合)社長に就任されました。
企業のトップに就任されても「貸切車輌開発熱」は衰えず、観光バス業界の重鎮として広く知られています。

☆各画像は、「車のしおり」(1972年版/1973年版)、「卓上カレンダ-」(2002年発売)ほかより抜粋しました。

  1. 2007/11/10(土) 00:27:00|
  2. 岐阜バスの貸切車輌
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白川郷と金沢 近江町市場 <2001/8/12[日帰り]>②終







車は富山県上平(かみたいら)村に入り、「五箇山・菅沼集落」に立ち寄り、合掌造り集落を散策しました。
五箇山インタ-より東海北陸道に入り、城端(じょうはな)サ-ビスエリアにて休憩をとりました。
小矢部砺波ジャンクションより北陸道に入り、金沢東インタ-を経て、繁華街「香林坊」に到着しました。
「長町武家屋敷跡」界隈を散策し、バスにて金沢市民の台所「近江町(おうみちょう)市場」へ向かいました。
回転寿司店に入り夕食をとりました。鮮度抜群で、岐阜で食べるのとは一味も二味も違いました。

徒歩にて「香林坊」に戻り、20:00 金沢を出発しました。金沢西インタ-より北陸道に入りました。
途中、尼御前(あまごせん)サ-ビスエリア・杉津(すいず)パ-キングエリアにて休憩をとりました。
米原ジャンクションより名神高速に入り、岐阜羽島インタ-を経て、23:30 岐阜に到着しました。
日帰りとしてはハ-ドコ-スとなりましたが、自動車道をフルに活用し、目的地を周ってくることができました。

画像1枚目:五箇山・菅沼集落・・・・「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として、世界文化遺産に登録されます
画像2枚目:東海北陸道・城端サ-ビスエリアにて・・・・上下線集約型S.Aで、ハイウェイオアシスを併設します。
画像3枚目:金沢・長町武家屋敷跡・・・・江戸時代の面影が残る町並みでは、現在も生活が営まれています。
画像4枚目:近江町市場・スカイビル口・・・・国道157号線沿い、金沢スカイホテルの真向かいにあります。
画像5枚目:ア-ケ-ド街・・・・地元では「おみちょ」の愛称で親しまれ、生鮮食料品を売る店が軒を連ねます。
画像6枚目:廻る近江町・市場寿し・・・・食べたいものを注文していたら、1人4000円近くになってしまいました。

関連記事:金沢市内散策2006・・・・https://travelking0105.blog.fc2.com/blog-entry-72.html

  1. 2007/11/07(水) 21:11:00|
  2. 旅行記<2001年>
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