エアロバスの登場 (昭和57年)
1982年秋、三菱自動車よりスケルトン構造のハイデッカ-「エアロバス」が発売されました。
日野自動車の「スケルトンバス」から遅れること5年、満を持しての次世代観光バスの登場です。
岐阜バスでは、1983年 一般車「サンライズⅡ60」を皮切りに同車の導入を開始しました。
1984年より「サンライズ55」、1986年より「サンライズ60」に採用していきます。
「エアロバス」は1988年までに合計81輌導入され、旧型車輌との代替を完了しました。
貸切運用終了後は、「空港特急」や「八幡特急」など定期車輌に改装され長らく活躍しました。
SUNRISE ll 60
▲「サンライズⅡ60」(三菱ふそう P-MS725S/1983年式)・・・・60人乗り一般車です。(正席49・補助席11)
前年に導入された「サンライズ60」(フルデッカ-Ⅱ)の後継車輌で、愛称に「Ⅱ」が付けられました。完全リベットレスの
ボディ、洗練された車内空間など、従来型と比べ大幅にグレ-ドアップしました。1983年に11輌(他社へ2輌転出1⃣)
導入され、全車赤塗装化にともない、リニュ-アル時 赤/金塗装に改装されました。(「サンライズ60」に改称)
後年 1輌が「AIRPORT EXPRESS」に、2輌が「Gifu Bus EXPRESS」に改装、また5輌が「汎用車」に転用されました。
SUN RISE 55
▲「サンライズ55」(三菱ふそう P-MS725S/1984年式)・・・・55人乗り一般車です。(正席45・補助席10)
全車赤塗装化にともない、一般車においても 赤/金塗装を初めて採用し、レッドカラ-のエアロバスが登場しました。
1984年に13輌(他社へ2輌転出1⃣)、1985年に17輌、1988年に16輌導入されました。
1984年式のみ、前年導入の「サンライズⅡ60」と同様に、ハットラック式荷物棚が採用されています。
1988年後期導入車は、レ-ザ-ディスクカラオケが初めて装備され、他の車輌にも追加装備されました。
また1988年前期導入車は、リニュ-アル時 定員増のため1列追加し、「サンライズ60」に改装されました。
なお1988年式のみ、リニュ-アル時 ス-パ-ハイデッカ-の外観デザイン(一部差異あり)に改装されています。
後年 12輌が「AIRPORT EXPRESS」に、11輌が「Gifu Bus EXPRESS」に改装、また5輌が「汎用車」に転用されました。
SUN RISE 60
▲「サンライズ60」(三菱ふそう P-MS725S/1986年式)・・・・60人乗り一般車です。(正席49・補助席11)
1986年に13輌、1987年に11輌(他社へ3輌転出1⃣)導入され、後にレ-ザ-ディスクカラオケが追加装備されました。
後年 6輌が「AIRPORT EXPRESS」に、7輌が「Gifu Bus EXPRESS」に改装、また2輌が「汎用車」に転用されました。
画像は、マイナ-チェンジ(1984年実施)後の車輌で、初期型と比べ車内外の細部仕様に差異が確認できます。
注釈1⃣・・・・「サンライズⅡ60」「サンライズ55/60」とも、全車 京都観光バスへ転出
ELEGANCE ll (新東海観光バス)
▲「エレガンスⅡ」(三菱ふそう P-MS725S/1985年式)・・・・60人乗り一般車です。(正席49・補助席11)
岐阜バスグル-プ各社では、スイング式ではなく折戸式の乗降扉を採用する車輌が多くみられました。
新東海観光バスは、買収時より青を基調とした外観を採用し、「ブル-バス」の愛称を持っていました。
ボディの正面と側面前方には円形の社章が掲げられ、「新東海」の頭文字「S」がデザインされています。
AIRPORT EXPRESS
▲(三菱ふそう P-MS725S/1986年式)・・・・「AIRPORT EXPRESS」に改装された車輌です。
ボディにデザインされた青系統色の波形模様は、青い空(ブル-スカイ)をイメ-ジしています。
画像のほか、従来のシルバ-と青の「空港特急」カラ-に改装された車輌が1輌在籍しました。
貸切車「サンライズ」のうち19輌が順次改装され、セントレア開業(2005年)まで活躍しました。
また、送迎運用や定期運用(路線限定せず)に就く「汎用車」(貸切塗装のまま転用)が12輌在籍しました。
Gifu Bus EXPRESS
▲(三菱ふそう P-MS725S/1986年式)・・・・「Gifu Bus EXPRESS」に改装された車輌です。
「八幡特急」「下呂特急」のほか、「グリ-ン特急」(岐阜⇔高山)の運用に就きました。
ボディにデザインされた緑系統色の波形模様は、沿線の山々の緑をイメ-ジしています。
画像のほか、同一パタ-ンで茶系統色の波形模様がデザインされた車輌が4輌在籍しました。
貸切車「サンライズ」のうち20輌が順次改装され、一部車輌は「空港特急」の運用に就きました。
★エアロバスとは・・・・
名古屋自動車製作所(大江工場)にて、1979年より開発・設計が進められてきた大型観光系モデルです。
イタリアのデザイナ-・アルドセッサ-ノがボディデザインを手がけ、流麗なボディフォルムとなっています。
モノコックとスケルトンの長所を組合わせた独自の工法「ス-パ-・コンプ・ストラクチャ-」によって組立てられ、
国産大型バス初の前輪独立懸架サスペンションやフルエアコンシステムの採用など、新機軸満載となりました。
全国の事業者にて採用され、6年間でおよそ7000輌(派生モデルを含む)を受注する大ヒットとなりました。
ハイデッカ-とスタンダ-ドデッカ-(1983年発売)がラインナップされ、1992年まで生産されました。
■乗車記録(エアロバス)
①「サンライズⅡ60」岐22か18-05・・・・ながら会ツア-「天橋立と奥城崎温泉」コ-ス<1983年4月3.4日>2⃣
②「サンライズ55」岐22か20-38・・・・ながら会ツア-「名古屋インポ-トフェア」コ-ス<1985年3月21日>1⃣
③「サンライズ55」岐22か20-33・・・・ながら会ツア-「筑波万博とTDL」コ-ス<1985年9月14~16日>
④「サンライズ55」岐22か19-80・・・・ながら会ツア-「萩・津和野」コ-ス<1986年3月31日~4月2日>
⑤「サンライズⅡ60」岐22か18-77・・・・ながら会ツア-「伊香保温泉」コ-ス<1986年7月20.21日>
⑥「サンライズⅡ60」岐22か18-78・・・・ながら会ツア-「おけさの佐渡島」コ-ス<1986年8月16~19日>
⑦「サンライズ55」岐22か19-80・・・・ながら会ツア-「武田神社と河口湖温泉」コ-ス<1987年1月5.6日>
⑧「サンライズⅡ60」岐22か20-64・・・・ながら会ツア-「夢工場'87 OSAKA」コ-ス<1987年8月14日>
⑨「サンライズ55」岐22か20-32・・・・ながら会ツア-「志賀高原と草津温泉」コ-ス<1988年5月3.4日>
⑩「サンライズ60」岐22か24-14・・・・中学3年生修学旅行「岐阜羽島駅送迎」(貸切)<1988年5月21日>
⑪「サンライズ55」岐22か21-16・・・・ながら会ツア-「瀬戸大橋サマ-ライナ-」コ-ス<1988年8月13.14日>
⑫「サンライズ55」岐22か20-33・・・・ながら会ツア-「伏見稲荷と平安神宮」コ-ス<1989年1月1日>
⑬「サンライズ55」岐阜22き・120・・・・高校1年生研修「乗鞍青年の家/往路」(貸切)<1989年5月15日>
⑭「サンライズ55」岐22か19-85・・・・ながら会ツア-「ナガシマエクスプレス」コ-ス<1989年8月26日>
⑮「サンライズ60」岐22か22-53・・・・高校2年生研修「ミサワセラミックスと明治村」(貸切)<1990年6月5日>
⑯「サンライズ55」岐22か19-17・・・・ながら会ツア-「TDLロングナイトライナ-」コース<1990年11月11~13日>
⑰「サンライズ60」岐22か24-18・・・・ながら会ツア-「天保山と北欧バイキング」コ-ス<1991年4月2日>
⑱「サンライズ60」尾張小牧22か・723・・・・高校野球応援「甲子園球場 東邦高校戦」(貸切)<1991年8月12日>
⑲「サンライズ60」岐阜22き・・・7・・・・ながら会ツア-「ウォ-キング倶楽部 御岳」コ-ス<1996年9月22日>
⑳「空港特急」岐阜22き・846・・・・新岐阜→名古屋空港 乗車「長距離路線乗り継ぎ」<2002年2月24日>
注釈1⃣・・・・当該車輌導入より1ヶ月以内に乗車 注釈2⃣・・・・当該車輌導入より2ヶ月以内に乗車
☆各画像は、「ENJOY BUS TOUR」(1983年版/1984年版)ほか、および 個人撮影のものより抜粋しました。