寝台特急「富士」は、東京と九州東部を日豊本線経由で運行していた夜行列車です。 1964年10月に東京~大分間で
運行を開始。翌年10月には西鹿児島まで延長し、1574Kmを24時間以上かけて運行する日本最長の定期旅客列車
となりました。1971年10月の下りの時刻表を見てみますと、東京を18:30に発車し、横浜・熱海・浜松・名古屋
に停車。日付が変わり、京都・大阪・岡山と主要駅に停車し、門司には9:56着。日豊本線に入り、大分には12:17着、
宮崎には16:13着、終点・西鹿児島には18:57に到着します。同区間を鹿児島本線経由で結ぶ寝台特急「はやぶさ」より
所要時間が2時間半長くなっています。1980年10月には運行区間を宮崎までに短縮、さらに1997年11月には大分
までに短縮されました。2005年3月より「富士」と「はやぶさ」は併結列車となり、2009年3月をもって廃止されました。
定期運行される寝台特急は「サンライズ出雲・瀬戸」のみとなり、全国で活躍していたブル-トレインが懐かしく感じられます。
画像1枚目:東海道・山陽本線にて牽引するEF65・・・・1978年まで使用されていた貫通扉なしの500番台(P形)です。
画像2枚目:日豊本線の非電化区間にて牽引するDF50・・・・牽引される客車は、1975年まで使用されていた20系です。
▲思い出の国鉄「ブル-トレイン富士」・・・・24系25形客車に置き換えられた直後、1976年頃の制作とみられます。
- 2021/10/16(土) 00:00:00|
- 鉄道◆雑記
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最初は西鹿児島まで行っていたものが、宮崎止まり、大分止まりと縮小していったのは、新幹線の西への延伸と航空機の普及で、関東や関西から西鹿児島まで、フルに乗るお客が少なくなった影響でしょうかねえ。
寝台車は身体を横に出来るので、夜行列車に比べて楽ですが、東京から西鹿児島まで通して乗ったとなると、体力的にもきついでしょうねえ。
でも今と違って、人間が直接、資料や図面を持って現地へ行き、相手と相談する必要があったから、こういう寝台列車が存在したんでしょうねえ。今は、ネット会議とメールで事足りる場合も多いでしょう。
- 2021/10/16(土) 02:15:11 |
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- kuroyuonsen #-
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国鉄が分割民営化されるとき、関東でいえば東京から100キロ圏内までが採算区間で、それ以遠は不採算区間として廃止されてもおかしくない、という話を聞いた記憶があります。
この話を鹿児島本線に当てはめると、福岡~熊本~八代間は、それなりの人の移動があるので採算区間と言えるでしょうが、肥薩おれんじ鉄道の区間は、ハッキリ不採算路線として第三セクター化されている、そう見えなくもありませんねえ。
- 2021/10/16(土) 02:33:54 |
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- kuroyuonsen #-
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kuroyuonsen様。
山陽新幹線が博多まで延伸したことにより、小倉や博多で一般特急に乗り換え、宮崎や西鹿児島を目指した方が早く到達できますね。寝台特急は客車特有の前後方向の揺れが強く、長時間の乗車は敬遠されたのかもしれません。ビジネス客の利用も多かったようですが、現地へ出向く必要が減ったことも衰退の一因と考えられますね。
- 2021/10/16(土) 23:21:10 |
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- Travelking #-
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kuroyuonsen様。
分割民営化を機に、路線廃止や3セクへの転換が図られましたが、特に九州・四国・北海道の3社は不採算路線を多く抱え、経営をひっ迫させていますね。コロナ禍で利用客が激減し、今後は廃止に向けた動きが加速しそうです。肥薩おれんじ鉄道は、運行コストを抑えるため気動車で運行していますが、経営は依然厳しいようです。
- 2021/10/16(土) 23:58:50 |
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- Travelking #-
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寝台列車って残してほしいな~って思います。会社生活時代サンライズをよく利用してたんですけどね~ 単身赴任だったのでギリギリまで家族と一緒に・・・・。朝起きたら東京でそのまま会社にって・・・。
- 2021/10/20(水) 05:02:00 |
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- 自遊自足 #-
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自遊自足様。
登場間もない頃、「サンライズ瀬戸」を全区間利用しました。B個室を確保し、一晩中ロ-ルカ-テンを閉めず、外の景色を楽しみながら乗車したことを憶えています。
夜間の移動は高速バスでも可能ですが、窮屈さは否めませんね。そろそろ経年車の部類に入ってきた「サンライズ」ですが、これからもずっと残ってほしいと思います。
- 2021/10/20(水) 23:59:58 |
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- Travelking #-
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私が初めて乗車した寝台特急・・・
それが「富士」でした。
24時間25分(1978年当時)始発から終点まで乗車していたのは恐らく私たち家族だけだったでしょう。
大分では編成の半分を切り離し、北延岡で上下の富士同士で列車交換があり時刻表に載っていない停車駅での停車に驚き、そして高架化前の宮崎でDF50の機関車交換に感動したものの、宮崎から先西鹿児島まで全席自由席になり私の座席にも他のお客さんが続々と着席してきたりして、小学生ながらにある意味人生勉強させられたような旅でした!
ブルートレインが全盛期の時って、陰ながら急行列車も全盛期でしたよね。
乗車する事は出来ませんでしたが、私は「くにさき」「阿蘇」はものすごく憧れの列車でした。それから155系修学旅行色の「伊豆」も乗ってみたかったです。
http://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-32.htmlhttp://4190koawazay.blog.fc2.com/blog-entry-775.html
- 2021/11/03(水) 21:06:59 |
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- ダイヤモンド✩トナカイ #-
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ダイヤモンド☆トナカイ様。
九州に入ってから、終点まで9時間も要した理由は、客車列車ゆえ宗太郎越えに時間がかかること、また宮崎から先が非電化であったことが影響しているでしょうね。
1978年に乗車されたとなると、使用機関車・客車はほぼ投稿した動画と同じですね。小学3年生の時に買った「ブル-トレイン」の本を読んで興味を持ちましたが、最初に乗車できたのは10年後の「なは」でした。70年代の急行列車全盛期は、夜行急行が多く運行され、また、昼行急行も気動車の長大編成が多くみられましたね。
- 2021/11/04(木) 22:55:20 |
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- Travelking #-
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一時は日本最長距離を走る列車でしたよね。列車番号も1でしたから国鉄・JRにとっても特別な列車だったことでしょう。
乗ったのは大分止まりになった末期、はやぶさと併結だった時です。1両しかないB個室もラクに取れるほど乗車率は低かったです。
- 2021/11/05(金) 18:44:55 |
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- ぶとぼそ #-
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ぶとぼそ様。
「富士」はトップナンバ-を冠した列車でしたか。24時間を超える長距離運行のため、途中2回対向列車と擦れ違うことでも知られましたね。私が「富士」に乗車したのは、廃止される年の元日だったため、B個室は満室で敢え無くB寝台を利用しました。「はやぶさ」と併結になった時点で、廃止は時間の問題であった気がしています。
- 2021/11/05(金) 22:51:50 |
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