大量輸送時代の到来 (昭和30年代)
車輌が充実するにつれて、貸切事業の営業成績は飛躍的に増大し、ドル箱事業に成長しました。
この躍進の大きな力となったのは、学校・会社・地域などの団体旅行客の大量輸送にあります。
一度に数十台単位のバスを出動させ、バスを大量に保有することにより他社をリ-ドしました。
バスによる団体旅行が全国的に盛んになった要因のひとつに、バスガイドたちの活躍がありました。
全国バスガイドコンク-ルでは、常に上位に入賞し「岐阜バスのガイド」の名を全国に広めました。
当時の車輌は1輌ごとに花の名前が付けられ、「花のネ-ムの観光バス」としてPRされました。
(愛称なし)
▲(いすゞ[川崎] BA341/1957年式)・・・・全長9mクラスの短尺車です。
当時の車輌は、上段Hゴム固定窓(バス窓)が一般的で、冷暖房の設備もありませんでした。
川崎航空機のバス架装工場が岐阜にあったこともあり、いすゞ車の割合が多数を占めました。
車内は、横6席(正席4+補助席2)×10列で60人乗りとなっています。
さくらそう
▲(三菱ふそう[新三菱] R370/1958年式)・・・・「花のネ-ムの観光バス」シリ-ズの1台です。
同シリ-ズには、ほかに「ぼたん」「やえざくら」「さざんか」「しらゆり」「べにばら」などがありました。
同じ名前の車輌は存在せず、ボディ側面に花の形をあしらったエンブレムを付けた車輌もありました。
車内は、横6席(正席4+補助席2)×12列で72人乗りとなっています。
(愛称なし)
▲(いすゞ[川崎] BC151/1961年式)・・・・光陽塗料を使用した特別塗装車です。
従来型より一回り大きくなり、ハイバック式のセパレ-トシートが初めて採用されました。
当時の社名表記は「岐阜乗合」で、社名表示灯は正面窓上に付いていました。
車内は、横5席(正席4+補助席1)×10列で50人乗りとなっています。
(愛称なし)
▲(三菱ふそう[川崎] MR420/1964年式)・・・・全長11mクラスの長尺車です。
路線系モデルを前扉・メトロ窓仕様としたもので、汎用貸切車として使用されました。
昭和30年代終盤の車輌は、冷暖房・リクライニングシ-トが標準装備となりました。
車内は、横5席(正席4+補助席1)×12列で60人乗りとなっています。
岐阜乗合高速バス
▲(いすゞ[川崎] BA741P/1965年式)・・・・全長9mクラスの高速専用バス(短尺車)です。
高速専用型式(後述)と並行して導入され、車内後部にソファ-を配置したサロン仕様もありました。
従来のボディカラ-を直線化した外観デザインを採用し、スピ-ド感を強調しました。
車内は、横5席(正席4+補助席1)×7列で35人乗りとなっています。
★リヤエンジンバスとは・・・・
エンジンを客室外前部に配置したボンネットバス、最前部に配置した箱型のキャブオ-バ-バス、床下に配置
したアンダ-フロアエンジンバスに代わり、エンジンを最後部に配置したリヤエンジンバスが開発されました。
車輌の客室スペ-スを最大限に確保できることから、以後、このタイプが国産バスの主流となっていきました。
大型化が進むにつれ、ボディの軽量化が求められ、フレ-ムレスモノコック構造が採用されるようになります。
当時は、エンジン・シャ-シ・ボディを分担生産する方式がとられ、エンジンをシャ-シ工場に運んで組付け、
そのままボディ工場まで自走して架装されており、多くのシャ-シメーカ-・ボディメ-カ-が存在しました。
★貸切車輌の愛称・・・・
岐阜バスの貸切車輌は、伝統的に愛称が付けられています。昭和30年代までは、花の名前が付けられていました。
オバQバス時代は「ス-パ-」、その後は「ロイヤル」「クィ-ン」「プリンセス」など王室関係の愛称が付けられました。
エアロバスまでは、「サンライズ55」など愛称に定員を表す数字が付加され、特別車か一般車かを判別できました。
また、固定サロン付の車輌には「サロン」、回転サロン付の車輌には「サル-ン」が愛称に付加され、区別しています。
ボディに表記される英字体は、筆記体・ブロック体(大文字のみ)や、大文字・小文字混合などを使い分けています。
ボディ側面に大きく社名を表記する事業者が多いなか、同社では前方に愛称、後方に小さく社名を表記しています。
☆各画像は、「歴代観光バスの下敷き」(2007年発売)ほかより抜粋しました。