事業拡大と敏腕アイデアマンの存在
貸切事業が軌道に乗り、岐阜バスは近隣の同業他社を次々と買収し、事業拡大を図っていきます。
1963年には西濃観光バス、1965年には新東海観光バス、1970年には華陽観光バスを傘下に
入れました。1968年には京都観光バスほか2社1⃣の経営を名鉄より引き受け、近畿圏に進出します。
また、名古屋京観バスの吸収合併にともない名古屋貸切営業所を開設し、愛知県に進出しました。
いっぽう貸切車輌の開発では、1972年に全国に先駆け「カラ-テレビ付バス」を導入しました。
これら開発の背景には、アイデアマンの存在があります。業界の重鎮・中村明徳(めいとく)氏です。
注釈1⃣・・・・大阪京観バス(→大阪名鉄観光バス)・神戸観光バス(→名鉄神戸観光バス) ともに旧京観系
Hi-Super Rear Salon 54
▲「ハイス-パ-RS54」(三菱ふそう[川崎] B905N/1971年式)・・・・54人乗り転換サロン付バスです。
後ろから2列目を転換クロスシ-トとし、麻省が楽しめるよう開発された車輌です。(正席45・補助席9)
補助席付で定員を確保しつつ後部をサロンとする仕様は、現代の汎用サロン車のはしりとなりました。
この車輌より、正面のオバQ顔はヘッドライトベゼルが整形された「後期マスク」となりました。
Hi-Super T.V Car 55
▲「ハイス-パ-TV55」(三菱ふそう[川崎] B905N/1972年式)・・・・55人乗りカラ-テレビ付バスです。
ビデオテ-プレコ-ダ-を設置し、屋根にアンテナを付けテレビ放送も受像できました。(正席45・補助席10)
「テレビカ-」は、岐阜バスグル-プ各社でも看板車に採用され、やがて全国の事業者に普及していきます。
同時期には、三菱ふそう純正車の導入が始まっており、同車はオバQバスの最終増備分とみられます。
Hi-Super 60
▲「ハイス-パ-60」(いすゞ[川崎] BU20P/1971年式)・・・・60人乗り一般車です。(正席49・補助席11)
前掲「ス-パ-サロンカ-」よりわずかに長い短尺車で、12列のシ-トピッチはかなり狭く、窮屈さは否めません。
1970年には、いすゞシャ-シに川崎重工製「角型車体」を架装した「ニュ-60」(60人乗り)が導入されました。
なお、一部のオバQバスは、リニュ-アル時 次代の外観デザインに改装され、「ス-パ-〇〇」に改称されました。
空港特急 (初代)
▲(いすゞ[川崎] BH20P/1970年式)・・・・「空港特急」(新岐阜⇔名古屋空港)に改装された車輌です。
岐阜バスでは、一定期間(8~10年程度)の貸切運用を終えると、定期車輌に格下げし運用しています。
シルバ-と青のボディ側面には、全日空・日本航空・東亜国内航空のシンボルマ-クが入っています。
車内前方に荷物スペ-スが設けられ、乗客はス-ツケ-スごと乗車していました。(1978年登場)
八幡特急
▲(三菱ふそう[川崎] B905N/1972年式)・・・・「八幡特急」(岐阜⇔郡上八幡・白鳥)に改装された車輌です。
一般路線カラ-をアレンジした外観デザインを採用し、ボディ側面には運行区間が表記されています。
また、ヘッドライトベゼルには行先表示器が、その上には「特急」の行灯(あんどん)が増設されています。
「八幡特急」の外観デザインは、次々代車輌(パノラマデッカ-)まで踏襲されています。(1982年登場)
★観光バスのグル-プ会社化・・・・
昭和40年代に入ると、大手私鉄・大手貸切事業者による同業他社の買収(グル-プ会社化)が進みます。
事業区域を拡大することにより、営業基盤を強固なものにし、グル-プ全体の収益アップに繋げました。
グル-プ会社化の利点として、繁忙期等に車輌が不足した場合、グル-プ内で調整を行うことができます。
また、同一車種を一括して購入することにより、バス販売会社と車輌価格の交渉(値下げ)が容易になります。
中でも、最大勢力を誇ったのが名鉄グル-プの観光バスです。近畿・中部をはじめ、関東・東北・北海道の
40社近くをグル-プ会社化しました。近年は、再編による合併・統合・事業廃止・離脱が進んでいます。
★中村明徳氏とは・・・・
数々のアイデアを自社の貸切車輌に盛り込み、岐阜バスを全国屈指の貸切事業者に成長させた人物です。
名鉄出身のやり手社員として、観光課長をはじめ、取締役・常務取締役・専務取締役などを歴任されました。
「貸切車輌の開発は我が社の独壇場」と考え、サロンカ-・寝台バス・カラ-テレビ付バスの開発や、この先
紹介するジャンボスタイル・パノラマデッカ-など、メ-カ-特注車輌の開発に大きく関わっていきます。
その後、華陽観光バス・名古屋観光バス(→名古屋観光日急→名鉄観光バスに統合)社長に就任されました。
企業のトップに就任されても「貸切車輌開発熱」は衰えず、観光バス業界の重鎮として広く知られています。
☆各画像は、「車のしおり」(1972年版/1973年版)、「卓上カレンダ-」(2002年発売)ほかより抜粋しました。